週刊少年Blog!!跡地:百合アニメ大杉

12/14のhttp://hw001.gate01.com/karzu/にて発見。
まあ、確かに百合(というか同性愛全般)に嫌悪感をもつ人は少なくないですわな。
俺はあんま気にならないし、男×女でも女×女でも男×男でも、面白ければ(そして萌えれば)良いと思ってるけど。
例えば「リリカルなのは」でも、今までの流れならフェイト×なのはでもかまわないと思ってるし、それが自然だと思ってる。だからといって、なのは×ユーノみたいな男女のカップリングが嫌だと言うんじゃなくて、作品のストーリーの中で自然な流れがあれば別に男女だろうが女(または男)同士だろうがかまわない、と言いたいわけで。
ま、百合ブーム自体に関しては

百合っつうか、単に今のヲタの多くが
萌えな女キャラ「だけ」を求めてる。と思われてるだけだろ。
恋愛要素は盛り込みたいけど、男と絡ませるとウザがられる。
だったら、女同士でいちゃつかせればいい。こんなとこ。

昔と違って「客観的に作品を見る人」、というのが多くなったから、
百合・女装・ショタといった感情移入をするのではなくて、
鑑賞作品をみるという価値観をもった人が増えてきたのかもしれん。

こんなとこでしょ。
特に後者、以前ネット上である腐女子がBLに関して、「どっちかに感情移入するってより、両方を愛でたいと思うような感じ」と言ってたんですが、
俺も「マリア様がみている」をオカズにしてから、何となくそういう感覚が分かった気がする。

最近、エロゲをやってると「キャラクターは良いのにストーリーがなぁ…」ってゲームによく遭遇するするんですが、ここ数年はもうオタク―特に俺のような萌えオタが求めるのは「萌え」であり、それを創出するための「キャラクター」(とその魅力を引き出すための「シチュエーション」)であって、もはや「物語」は必要無いのではないかと。
瀬口たかひろ氏が「えん×むす」の人気投票でお七が上位に来たことについて「萌えに関しては(漫画的な)キャラ性ってあまり重要じゃない気がする。」と書いていた*1のも、こういう「物語の登場人物としての」キャラクターと「『萌える』記号」としてのキャラクターの差というか、そういうものじゃないかと思ってみたり。
…勝手な妄想ですがね。


もちろん商業的には「萌え」を求める俺のような輩が大勢居る以上、そのニーズに応えるのは悪くは無いのですが、いずれこの流れは破綻する日が来ると思うんですよ。
だからそうなる前に、ゲームや漫画やアニメは「萌え」の呪縛から抜け出して欲しいなぁ、とそう思うわけです。
これは「萌え」を否定するってことじゃなくて、それ以外所を拡大していけ、っていう意味なんですけどね。


まあ、「萌え」ももう飽和状態だし、ブームも終わるでしょ。余りにも乱用されすぎたし。